金曜日の放課後。 HRも終わり、さて帰ろうと陽介の席まで行くと、陽介はなんだかいつもより楽しそうな顔をして一冊の本を読んでいた。 「陽介」 「あ、帰る?」 「あぁ…つうか、楽しそうな顔して何読んでんだ?」 「あ、これ?催眠術のことについて書いてあるんだけど、なかなかおもしろそうだからさぁ」 「催眠術?」 なんて胡散臭い本を読んでいるんだと想いながら、差し出されたその本を手にとる。 題名の横に、小さく『あなたも試してみませんか?』なんて書いてあるのを見つけ、やるかっ!と心の中で突っ込みをしてしまう。 「こんな胡散臭いの、どっから手に入れたんだ?陽介、図書室とか行ってたっけ?」 「いや、イズミンに借りた、なんかおもしろいことないかなぁ?って言ったら、じゃぁこれ試してみたら?って言ってさ」 「へぇ…(試す気なのか…?)」 手にした胡散臭い本に、少し不安を感じながらも、カバンの整理を終えた陽介に手渡す。 陽介は、本を適当にカバンの中に納めると、一度俺の方を向いて、ドアへと向かう。 俺も陽介について教室を出た。 * * * 部屋に帰る途中、陽介が「今日は泊まりに行くなっ!」と言って分かれて既に30分くらい経っただろうか…。 俺はチラチラと時計を見ながら、陽介が来るのを待っていた。 自分でも女々しいなと想うが、気になるのは仕方がないから…まぁ、しょうがない。 そんなことをしていると、ドアが叩かれる。 「綾斗〜?」 「お、鍵開いてるから入ってこいよ」 「おっじゃましま〜す」 私服に着替えて、少し大きめの荷物を持った陽介がいつものようにのんびりとした様子で入ってくる。 俺もいつものように、陽介専用になっているカップに紅茶を入れる。 「はい」 「お、ありがと」 「どうしたんだよ、今日はいつもより遅くなかったか?」 「それがさぁ…なんかあの本、本当に面白くって、つい読みいっちゃったんだよなぁ…」 「…そんなに面白かったのか…?」 「そりゃぁ、本はあんまり好きじゃない俺が読みいるほどだからな」 「そっか…」 陽介の笑顔に、いつもの安堵感を感じない…。 どちらかというと、不安な感じなんだけど…。 これは一体…? 「ってことでさ」 「え?」 「今日、綾斗に催眠術をかけてみたいと思いま〜す」 「はぁ!?」 俺の陽介に関する感知度は相当なもんだなぁ…。 なんて考えている間に、両手をギュッと掴まれた。 「いい、よね…?」 「や、ちょ、ま…催眠術って何する気だよ…!」 「そうだなぁ…たとえば…」 「たとえば…?」 「綾斗が俺にキスしたくなるとか…?」 「却下!」 おだやかな顔して、なにさらりとちょっと危ないこと言ってやがる…! おもいっきり殺意むき出しの睨みを入れて却下してやると、流石に陽介も身の危険を感じたのか、再度考え直しはじめた。 「…じゃぁ…抱きつきたくなるでいいや」 「お前は…その類のコトしか考えられないのか!?」 「だって〜、最近綾斗に触ってないなぁ〜って思って…って、痛い!」 「少し黙らないかい、陽介くん?」 「ご、ごめんなさい…」 怒った反面、小さくなって謝る陽がなんとなくかわいそうになってくる。 しかしこれを認めてしまっては、自ら危険をおかしに行くようなもんだし…。 でも…。 「仕方ないな…」 「え?」 「それでいいじゃん、やってみろよ、俺がかからなければいい話なんだろ?」 「マジで!?やった!」 すごい喜びよう…つか、成功させる気なのか…? 俺だってそんなに意思が弱い方じゃない…言ってみれば、校内でも1・2を争えるほど、自分の意思に忠実なんだと思う。 催眠術なんて、俺にはかからない…。 そう思っていた…。 * * * 「じゃぁまずここに寝て」 「おう」 綾斗が俺のお遊びに付き合ってくれることになった。 いつもただ置いてあるだけになっている余っていたざぶとんを二つ折りにして、そこに綾斗の頭を乗せるように寝かせる。 催眠術なんて子どもじみてるかもしれない…でも、これはちょっと自信があるんだよな…。 「じゃ、目を閉じて…今から俺の言葉だけを聞いて…」 ゆっくりと綾斗の顔の上に掌を乗せ、目を閉じさせる。 そのまま、囁くように言い聞かせるように言葉を発していく。 「綾斗は今日すごく疲れてたよね…すっごく眠くなってくるよ…」 何度か言葉を繰り返すと、徐々に綾斗の身体から力が抜け、睡眠状態…いや、催眠状態に陥る。 「綾斗…次に起きた時、目の前にいる俺に抱きつきたくて仕方なくなるよ…それと…"おはよう"の言葉を聞くと、催眠から覚めちゃうよ…」 ゆっくりそう告げると、綾斗の顔から掌を離す。 そして、優しく揺り起こす。 「綾斗、起きて…綾斗…」 「う、うん…」 ゆっくりと、本当に眠そうに瞼を擦りながら身体を起こす綾斗。 俺は後ろから軽く肩を叩いた。 コチラを向いた綾斗は、いつもだったら絶対に見れないような、潤んだ目をしていた。 「どんな気分?」 「ん…」 綾斗は一度俺の顔を見ると、少し恥ずかしそうに視線を下に落とした。 そして、再度俺の顔まで視線を上げると…。 「陽介…」 「うわっ…!」 飛びつくように抱きついてきた。 「あ、綾斗…(すっごい、かわいい!)」 「よーすけ…」 まだ眠そうな綾斗は、俺の上で二度目の睡眠を迎えようとしていた。 俺は多少焦って言う…。 「綾斗…"おはよう"」 「ん…おは、よ…う…じゃねぇっ!」 「うわっ!」 綾斗は本当にこの瞬間に催眠から覚めたかのような驚きを見せて、俺の上から飛び起きた。 そして、信じられないと言いたげな顔で、俺のことを見つめてきた。 「俺…なんで…」 「いやぁ〜綾斗、すっごいカワイかったよ〜」 「う、うるさ…」 「まさか、押し倒されるなんて思ってなかったけどな」 「う…」 綾斗の動きがピタリと止まる。 そして俺はこの時はじめて「やばい」と感じた。 自分の弱みを握られたり、見られたりするのをすごく嫌う綾斗。 その"嫌だ"と思う気持ちが最高潮に高まった時、綾斗は黙り込む。 これはまさにその沈黙だった。 「あ、綾斗…?」 返事はない。 と、思った次の瞬間、綾斗は立ち上がり、俺の腕をとると、玄関の方へと歩いていく。 そして、玄関近くに置いてあった俺のお泊まりようかばんを掴んで、俺をドアの外へと投げ飛ばした。 カバンと靴が次々と飛んでくる。 「今日のお泊り中止な、じゃ」 バタンとドアが閉められる。 なんか、夫婦喧嘩して締め出しくらった夫みたいなんだけど…。 なんてちょっとのんきなことを考えながら、俺は仕方なくとぼとぼと自分の部屋への道を歩いた。 部屋に帰って携帯で謝罪メールを打ちはしたものの、この事件のことが許される日はこなかった―――。 |